「工場」は、煙突や配管等からの汚染物質の排出による公害のイメージがあり、一般的にはあまりよく思われていません。
それが昨今、萌える工場建築や、工場のリノベーション、歴史的な建造物としてメディアに取り上げられることが増えてきました。
工場建築の魅力は、撮り鉄のようなマニアな方から広まったとされていますが、実は、そこには美しいと感じられる理由があります。
工場がなぜ美しいものにもなりうるのかをいくつかの技術者の視点で解説していきたいと思います。
美しい現代工場建築事例
こちらの建築は、広島県にある、広島市環境局中工場(ゴミ焼却施設)です。
これを設計した建築家谷口吉生さんは、以下のように述べています。
「設計を始めるときには、私は同類の施設を可能な限り多く見て回るように心がけています。そこで他の施設を見てみると、外観をいろいろなデザインで工夫をして、ゴミ焼却施設には見えないように隠している建築が多くありました。しかし私はこれも現代の都市に必要な施設のひとつとして、外部は意図的に工場をそのまま表現し、内部に何か公共的な空間をつくり、都市施設としての価値を高めようと思いました。」(「新建築」2004年7月号より引用)
このメッセージの通り、外観は余計な装飾はなく、とにかくシンプルに作られ、工場を中央に貫くガラスの見学通路は、清掃工場の案内と共に緑も配置され、環境に配慮され悪臭も全くしない最新の焼却施設をアピールすることに成功しています。
外観もしっかりシンプルにデザインされ、秩序が保たれ整頓されたデザインです。
このような工場の場合、建築的要素よりも内部に収められる機械設備が優先で計画されます。
機械設備が最も効率よく配置される様、外皮の建築は機械配置によって、決められていきますが、そうするとどうしても様々な所に配管類やガラリ類が煩雑に配置されます。
しかし、この建物はそういった設備関係配管・ガラリ類が一切見えず、外観が整然とデザインされています。
これは、機械設備と建築設計が十二分に協議され、建築デザインにも配慮されていなければ、このような外観にはなりません。装飾的なデザインはありませんが、非常に美しい外観になっています。
時間が作り出す美しさ
こちらは、発電所跡ですが昔は生産施設として建てられ、今は屋根が取り払われレンガ壁の一部だけが残っている状態ですが、美しい風景を作っています。
長い年月を経ると、元々の意図とは違う美しさが得られる場面もあります。
特に日本人は、侘び寂びの感性を持っています。
散った桜が美しく感じたり、古さや静けさ、枯れたものから趣が感じられることがあります。
発電所の建築は、100年以上前から作られ、当時は外国の技術を取り入れておりますのでレンガ造で作られたものが多く存在します。
これらも、長い年月を経て、どこか趣があり、美しく感じます。
これらのレンガ造は、今の日本の建築基準法では新たに建てることは難しく、今となっては非常に貴重となっています。
発電所としての役割を終え、レンガの壁だけを残して景観の一部として残していくものもあれば、改修して新たな用途として使われていく建築もあります。
古いレンガ造の建物を改修してレストランとしている事例です。新しい建材で作られた空間とは違い、趣があり歴史も感じ非常に美しい空間となっています。
圧倒的な機能美
暗闇の中、神々しくライトアップされる非日常的なスケールの構造物が、観るものを圧倒し、多くの人を魅了しています。
今や、これら工場の夜景は、クルーズツアーが人気となっているぐらいです。
なぜここまで、工場の負のイメージあったものが人に美しいと思わせるのか。
色々な意見がありますが、それは、「人が意図的に美しいものを作ろうとして作られたものではなかったから」が正解かと考えています。
人が意図的に良い景観を作ろうとしたものもたくさんありますが、作る人が意図したもの以外に、観る人が勝手に「この景観はキレイだ」と言い出して、やがてその価値観が社会に広まっていったものもあると考えられています。
富士山なんかの自然が作り出す風景もその部類に入ります。誰かが「美しい」と言い出し、「日本を代表する山」という認識になりました。
工場も同じように、人が美しくしようと作ったものではなく、機能を追求して作られたもので、誰かがそれを観て美しいと発見し、それが大きな価値観になっていったものと考えられます。
錆びた鉄骨の構造体に、得体の知れない配管類が張り巡らされ、煙突の突端から排出される煙や火炎、雑然とした作りで、デザイン要素はゼロですが、なぜか魅了されるものがあります。
工場建築は特に、特殊で優秀なエンジニアリングが集まって作り上げられるものです。
建築は「工学」ですが、工場設備(プラント)は「化学」です。
それらの違う分野の専門家がそれぞれの立場で安全性・生産性・経済性等を考慮しながら設計し、桁外れで膨大な数の部材を適切な位置へ計画していきます。
あの複雑に絡み合う配管類や構造体は、それら特殊なエンジニアの魂の結集となっています。
その設計行為の中には、「カッコよくつくる」意図がなく、とにかく安全性・生産性・経済性が優先されます。
それが、まさに意図的に美しいものを作ろうとして作られたものでない建築の最大級なものです。
まとめ
工場の特性として大規模なものが多く、非日常的なスケール感があります。
更に非日常的な煙突や配管のライトアップ等の演出より、一層人を惹きつける要素になっているものだと思われます。
それは、美しさを狙ったものではなく、機能として必要とされるところから、自然と似たような美しさを感じられるものです。
世間一般的には、負のイメージのある工場建築ですが、それらの非日常的な空間に加え、歴史や機能美が加わり、美を意識していない存在であったところの観点から、自然の美しさに似たような性質もあり、建築的にも非常に面白い存在です。
それは、いいワインのように職人が手塩に掛け作ったものが、時間と共に熟成され更に美しく出来上がるところにも似ているところがあります。
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